アイキャッチ画像は 「阿字(あじ)」と読みます。 この画像↓
さて、本題に入ります。
7月15日(午前11時)より、当山にて「盂蘭盆施餓鬼会」を行いました。ザックリと言うならお盆の法要です。
2~3日前まで、天気予報ではあいにくの雨と言われていたが、当日は曇りで、心地よいくらいの風が吹きお参りがしやすい気候でした。
そして、当日の朝9時頃に最終の準備を整え…
同じ町内の方から鬼灯(ほおずき)をいただいたのでお地蔵さんにお供えをしました。
また、お盆ということでキュウリやナスもお供えしました。
このご時世ですから、ちゃんと消毒を(゚д゚)!わかりやすい正面に設置!
1座目は、お坊さんだけでのお勤めを行いました。
1座目終了後に、塔婆を申し込んだ方に塔婆を配り、
2座目が始まり、少しすると住職が外に出て作法に入ります。
一度に全部書くと来年以降どうしようかなと考えるので、住職のこの作法はあえて触れないようにしますm(_ _)m
住職の作法が終わると、参拝者の方に自らの手で(先祖・水子)を供養する修行を行っていただきました。
一度、お坊さんに塔婆を預けて、拝んでもらった後に、外に出て樒(しきみ)の葉にて塔婆に水を手向(たむ)けていただきました。
自分の先祖や水子に対して「お水をどうぞ」という気持ちを持って皆様に供養をしていただきました。
顔が見えるので手元だけの写真で申し訳ございませんが、雰囲気でも味わっていただけたらと…
当日にお越しできない方の塔婆は、副住職が責任を持って供養させていただきました。
この修行の時にいつも感じるのですが、
「我々は、先祖からの命のリレーによってこの世に生命を授かったんだな」と感じます。
言うなら、先祖から命のバトンを受け取ったというのか…
(表現が下手で申し訳ございません)
そう考えると、先祖から命をいただいた訳ですから、感謝しなければなりません。
そのために、樒にて水を手向けることが目に見える感謝の気持ちを表した修行法(供養法)であり、自分にとって一番の功徳になるのではないのかといつも思います。
また、弘法大師空海は、(上記にある)阿字という言葉を使ってこのような言葉を残しています。
阿字の子が 阿字のふるさと 立ち出でて また立ち返る 阿字のふるさと
阿字とは、大日如来のことを表します。
しかし、ここでは広い意味で「仏様(先祖なども含む)」ということにしましょうか。
直訳っぽく言うなら、
「我々は、仏様の子どもであり、仏様のふるさとからこの世に生まれ、また仏様のふるさとに帰って行く」
また、言葉を「先祖」に変換し、わかりやすくすると、
「我々は、先祖の子どもであり、先祖のご縁によってこの世に生まれ、また、この世から亡くなる時は、ご縁をいただいた先祖のもとに我々は帰る」
という命に対して説いた言葉と思っていただけたら幸いです。
そんなこんなで、午後1時30分頃に終わりました。
最後になりましたが、
3密を避けるなどのために、ご理解・ご協力を賜り皆様ありがとうございました。
さて、当山のお盆の法要はいかがでしたでしょうか?
当山は、先祖供養でも「皆様と一緒に修行する」ということを大事にしているということだけでも伝わっていただけたら幸いです。
表現や文章が下手なもので、わかりにくいところが多いと思いますが、申し訳ございません。
上記と併せて、色々と気になること・聞きたいことがある方は、ご遠慮なくお声掛けください。
雰囲気だけでも味わっていただきたくブログを更新いたしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
写真提供
M・T様 ありがとうございました。